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「英国系御曹司の異常な愛情 」番外編~彼と彼女の裏事情~

 ――これは誰だろう?

 

 要は一瞬、目の前の彼女を見てそう思ってしまった。

 

 紋付きの喪服を着た彼女は、青白い顔をして空中を見つめ、脚を崩し壁にもたれ掛かっている。

「要!」と元気に自分の名前を呼び、表情豊かだった彼女は抜け殻のようになっていた。

「……結奈……」

 黒いスーツを着た要は、彼女の前に膝をついて顔を覗き込む。

 

 いつもなら生き生きとした光を宿す瞳は、要を映さない。

 

 焦点をぼかし、ここではないどこかを見ている。

「ショックなのは仕方がないですね」

 

 結奈の叔母だという慎子の声がする。彼女も喪服姿のまま疲れた表情をしている。

 

 結奈の両親――三輪山邦茂と茜が急逝した。

 

 結奈は奇跡的に打撲で済んだが、その精神は無事とは言いがたかった。

 

 彼女が東京で懇意にしていたらしい慎子の言葉では、結奈の体には至る所に湿布が貼られているようだ。

 

(俺がいなかった間に……)

 

 グッ……と拳を握るが、もうどうしようもない。

 

 家族ぐるみで付き合い、要にも優しくしてくれた邦茂と茜は、もういないのだ。

 

 あの品のいい焼き物を集めた、邦茂の王国だった『陶器の三輪山』も、シャッターが下りたままなのだろう。

 

 心の中にポッカリと穴が空き、要の心の中に闇の澱が溜まってゆく。

 

 ――だがそうじゃない。

 

 ――いま守るべきは、結奈だろう。

 

 自身に言い聞かせ、要は結奈の耳元に唇を寄せた。

 

「結奈」

 

 囁いて頭を撫でても、彼女の心は戻らない。

 

 このまま結奈を連れて東京の自宅に行きたい気持ちもあるが、彼女の祖父母や親戚を差し置いてそんな事はできない。

 

 結奈も葬儀で疲れただろうと思い、要は一度三輪山家を出る事にした。

 

 要が現れた時、結奈の祖父母、叔父・叔母は、ポカンとした顔で「どちら様ですか?」と言った。初対面なので当たり前だろう。

 

 結奈の婚約者だと説明すると、茜から話だけは聞いていたのか、納得して手を合わせる事を許してくれた。

 

 要が事故を知ったのは、日本に置いていたシャーウッド家の者のお陰だ。

 

 日本を離れている間、結奈の浮気など疑わず、彼女の自由を尊重したかった。

 

 だが万が一、何かがあった時、「知らなかった」では自分を許せない。

 

 だからこその見張りだったのだが、こんな時に役に立つとは――。

 報告があった時、要はロンドンにいて、慌ててプライベートジェットに飛び乗った。

 

 それでも時間ばかりはどうにもならない。

 喪服に身を包むのももどかしく三輪山家に向かえば、結奈はすでにこの状況だった。

 

 現状、要と三輪山家を繋ぐのは結奈しかいない。彼女が心神喪失に近い状態にある今、あまり要が目立つ事をすると、胡散臭い目で見られかねない。

 ――適切な距離を取った方がいいのだろう。

 要の両親も時を同じくしてイギリスから駆けつけたが、二人もまた三輪山家の人々にとっては、初対面に他ならない。

 

 結奈を想うがあまり、彼女にとって良い環境を選択したくても、まず尊重すべきは三輪山家の人々なのだ。

 

 後ろ髪を引かれる思いで、要は忙しそうな三輪山の人々に挨拶をし、馴染んだ家を出て行った。

**

 

 

 

 初七日の法要が終わったあと、結奈を取り囲む人達の空気があまり良くないものに変わった。

 

「そやし、結奈はうちとこで預かりますて」

 

 矍鑠(かくしゃく)とした結奈の祖母が言い、叔父の邦宏がうなる。

 

「結奈は東京で育った。環境的にも慣れた場所のほうがいい」

 

 京都の祖母は茶園の主で老舗茶屋の女将でもあるので、夫よりも発言力がある。結奈の祖父は入り婿だ。

 

 九州から駆けつけた母方の祖父母は、「うちは遠いしね……」という態度を取っている。

 

「こういう事は言いたないけど、慎子さんは子供に不慣れかもしれひんし。結奈ちゃんかて二十歳とは言え、まだ子供やしね」

 

 ボソッと呟いた祖母の言葉に、慎子が俯く。

 

 どうやら邦宏と慎子の夫婦は子を流産し、それ以来子に恵まれる事もなかったようだ。

 

『浅葱茶屋』という和風喫茶店を経営しているが、浅葱という名は生まれてくるはずだった娘の名をつけているのだとか。

 

 よくある、身寄りの無い子を嫌がって親戚中をたらい回しに……とは、逆のパターンのようで、要は一応安堵する。

 

 少なくとも結奈は親戚から愛情を受けていた。

 

 要は隅の方で正座をし、静かに話を聞いている。

 

 隣には結奈が座り、要の肩に頭を預けていた。

 

 話を聞いていて、京都の祖母はどうやら結奈を後継者にしたがっているようだ。

 

 邦宏と慎子は近場で可愛がっていただけあり、情があるゆえに結奈には住み慣れた土地がいいと主張している。

 

 話はいつまでも平行線のままで、険悪な空気に要も次第に苛ついてきた。

 

 気が付けば、彼は結奈の肩を抱き口を挟んでいた。

「――なら、私が結奈さんを連れていきます」

 

「え?」

 

「あなた、何言うてはるの」

〝他人〟が乱入してきて、全員呆気にとられて要を見た。

 

 しかし要はしっかりと彼らを見据え、結奈の肩を抱いた手に力を込める。

「私は結奈さんの婚約者です。いずれ彼女と結婚し、二人で暮らします。それなら今、彼女が大変な時に支えるべきだと思っています」

 要は大学を卒業し、世界中忙しく駆け回っていた。

 

 シャーウッド家の次期当主として世界中で人柄や商才を試され、人脈のパイプを広げるためにあちこちの社交場に顔を出していた。

 

 重要な時期でありながらも、彼は強く結奈を引き取りたいと主張する。

 

「私は自分が側にいない時に、結奈さんがこうなってしまったのが、ショックでなりません。愛する人が悲しんでいた時に側にいられない苦痛を、どうかお察しください。加えて親戚の方々には日々の仕事や日常生活があるでしょう。果たしてこの状態の結奈さんを引き取り、きちんと面倒を見られるかについても、疑問を持ちます」

 

 要の言葉に、京都の祖母が眼光鋭く尋ねる。

 

「ルーサーさんなら、結奈の面倒を見られると言わはるんですか?」

 

「見られます。自分を過信した言い方で恐縮ですが、私には自分が仕事をしている間、雇った専門家に彼女を見てもらう事が可能です。欲を言えばこのまま彼女を引き取り、結婚したいとも思っています」

 

 普通ならここで別れると言い出しかねないのに、逆に要は一生面倒を見ると言っている。

 

 その覚悟に思わず全員が押し黙った。

 

 彼らの反応を見てから、要は言葉を付け足す。

 

「……でもそれでは、結奈さんのご両親に心配をさせてしまうでしょう。私はあなたたち親戚も大切にしたいと思っています。結奈さんがいつまでこの状態のままかは分かりません。彼女の状態が落ち着いたら、必ず一度日本に戻すと誓います。それまでは、婚約者である私に預からせてくださいませんか?」

 

 頭を下げた要を見て、全員が溜め息をつく。

 

 この青年が何者なのか、彼の名刺を受け取ってそれぞれ調べ、理解している。

 

 シャーウッド貿易会社と言えば、東京駅に日本支社があり業界では有名だ。三輪山家は茶器関係に詳しいため、知り過ぎているほどだ。

 

 いくら祖母が京都で代々続く茶園を営んでいても、シャーウッドが保有する世界各国の茶園や土地、その他の資産には敵わない。

 

「……ルーサーさんはいま二十二歳やと聞きました。そんな風に上手くいくでしょうか?」

 だが人生の酸いも甘いも知った祖母は、なおも厳しい目で見ようとする。

 

「お言葉ですが、年功序列で考えようとするのは、良くないのではないでしょうか。世界に目を向ければ、あなた達が〝子供〟と呼ぶ年齢でも、有名大学をスキップして卒業する者もいます。私にはフィンチェスターを首席で卒業し、シャーウッド家の人間であるという自負があります」

 

 かなり己を過信した言い方になってしまったが、事実なので要はそのまま述べる。

 

 結奈を側に置きたい一心で、要は三輪山家の人々を敵に回さず、彼女を引き取る事ができるよう誠実に頭を下げるしかできない。

 

「ルーサーさんはご自分を特別と言わはりたいんですね」

 

 チクリ、と祖母が棘を刺す。

 

 だが要も怯まない。

 

「そのための努力はしてきたつもりです。結奈さんを一生守るに相応しい男として、あらゆる面を鍛え、これからも精進し続けます。私は家督を継ぐために努力していますが、何より結奈さんと幸せな家庭を築きたいがゆえに、日々邁進しています」

 

 祖母の目をまっすぐ見据え、長時間の正座にも動じず要は敢然と立ち向かう。

 

 しばらくピシリと張り詰めた空気が、茶の間を支配する。

 

 やがて折れたのは、祖母だった。

 

「――よろしいでしょう。結奈の引き取り手も決まっていない現状、今すぐ私たちが結奈をどうこうする事も、かなんでしょうしね。ルーサーさんの言わはる通り、私たちにも毎日の生活があります。多忙な時に結奈が悪化すれば、病院に任せるしかないと思っていました。結奈の事は、ルーサーさんを信じてお任せしましょう」

 

 祖母がくだした決断に、全員がホ……と息をついた。

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、法要がある時は必ず日本に結奈を連れ帰ってください。法要は頻繁にある訳やありません。結奈にとって大切な法要に立ち会わせられへん婚約者では、あらしまへんものね?」

 

「分かりました。誓います」

 

 要が頭を下げた時、それまで厳しかった祖母の表情が、ふ……と和らいだ。

 

「……結奈にはいつの間に、こないに素敵な彼氏がいたんやね。茜さんから『綺麗な男の子と付き合うてる』とは聞いてましたけど」

 

 茜が祖母に自分たちの事を報告してくれていたと知り、要はポツリと落とすように微笑む。

 

 そんな彼に、祖母が声を掛けた。

 

「ルーサーさん、脚痺れてません? もうええですよ」

 

「……動けません」

 

 要が白状して笑うと、その場にいた全員は気が抜けたように笑った。

 

**

 要は連れてきた柿(かき)崎(ざき)に結奈を紹介し、彼女をサポートするための環境を整えた。

 

 柿崎とは大学時代に友人の兄経由で知り合った。

 

 貴族である友人の兄の同期に、日本人ながら実に優秀な人材がいて、起業して経営者になるよりは、誰かのサポートをしたいと言っている者がいると知らされた。

 

 要も日本で過ごした時間が多かったので、日本人の方が秘書として雇いやすいと思っていた。すぐに連絡をした相手が柿崎で、要が大学を卒業したら契約をする手はずを整え、現在に至る。

 

「……少し休む」

 

 現在要はニューヨークに向かうプライベートジェットの中にいた。

 

 会議室でパソコンを開いてやるべき仕事を終えたあと、ラウンジにいた柿崎や護衛に告げ、ベッドルームに向かう。

 

 広々としたベッドには結奈が横になっており、うっすらと目を開いている。

 

「結奈」

 

 ジャケットをハンガーに掛けてベッドに乗り、彼女の顔を覗き込む。

 

 少し彼女の唇が乾燥しているのに気付き、〝年頃の女性に必要な日常品〟として入手したリップクリームを、バッグから取り出す。

 

「結奈はいつも唇を気にしていたよな」

 

 学生時代の彼女は、要と話していて少し照れる事があると、リップクリームを塗って誤魔化していた。

 

『俺とのキスを期待してるから、ケアを怠ってないのか?』とからかったら、真っ赤になって怒ったのを思い出す。

 

「これから、結奈の面倒は俺が見るからな」

 

 彼女の顔を片手で固定し、要はリップクリームを丁寧に塗ってやる。

 

 そのあと結奈の艶やかで長い髪を撫でつけ、そっと押し倒した。

 

「……結奈」

 

 両手を体の左右についても、結奈は何も反応もしない。

 

 初めての時は、あんなに真っ赤になって照れていたのに――。

 

「結奈」

 

 また彼女の名前を呼び、リップクリームを塗ったばかりの唇にキスをした。

 

 ――柔らかい。

 

 ――温かい。

 

 ――彼女は生きてる。

 

 ――それだけでいいじゃないか。

 

 自分に言い聞かせ、要は執拗に結奈の髪を撫でる。

 

 艶やかな絹のような感触の中に、昔の彼女がいるような気がして、何度も、何度も梳る。

 

 初めて二人でホテルに泊まったデートの時、ジョン・アルクールの香水を結奈にプレゼントした。

 

 要は以前から祖国イギリスのブランドであるジョン・アルクールを贔屓にし、ウッディベースでベルガモットが香る香水をつけ続けていた。

 

 どうせなら自分の婚約者にも、所有の証しとして同じブランドの香りを纏っていて欲しかった。

 

 二人で百貨店に向かい、外商にVIPルームに通され右往左往していた結奈が懐かしい。

 

 ジョン・アルクールのすべての香りを用意させ、彼女に嗅がせて気に入った物をプレゼントした。

 

 そのとき彼女は桃の香りを気に入り、学校がない時にコロンを楽しんでくれていた。

 

 結奈にとっては高級ブランドなので、要は一定期間が経つと同じ物をプレゼントしていた。

 

 彼女は自分からプレゼントをねだる性格ではない。ボディクリームがなくなる時期になると、要からプレゼントを携えて会いに行っていた。

 

 時期の目安を知るために茜に協力してもらっていたのだが、結奈が「どうしてなくなりそうなのが分かったの?」という顔をするのが、堪らなく可愛くて毎回悶えていた。

 

 ――今、結奈からあの香りはしない。

 

「向こうのホテルについたら、すぐに取り寄せて結奈の好きな香りで包んであげるから」

 

 記憶は嗅覚とも密接に結びついているとも言う。

 

 要は彼女の心が現実に戻るなら、何でもするつもりだった。

 

 そのあと要も結奈の傍らに寝そべり、彼女の体に腕を回して目を閉じる。

 

 事故の知らせを聞いてから、死にそうな心地で日本に駆けつけた。

 

 ようやく、少し落ち着いて休める気がした。

**

 うつろな世界をさまよっていた結奈は、温かなものに包まれていた。

 

 自分を撫でてくれる優しい手があり、心地いい水音も聞こえる。

 

 鼻腔には自分の好きな香りが届く。

 

 それは〝自分の香り〟と〝彼の香り〟が交じり会った匂いだった――。

 

 ――明るい。

 

 ぼんやりとしていた視界に焦点を合わせると、どうやらバスルームにいるのだと理解した。

 

 すぐ横に大きな窓があり、日本のものではない摩天楼が広がっている。

 

「……どこ……ここ……」

 

 呟いたとき、グッと背後から体を抱き締められた。

 

「結奈? 気が付いたのか?」

 

 顔を覗き込んでくるのは、――要だ。

 

 ずっと側にいてくれた、紫色の瞳の、年上の幼馴染み。

 

 自分には釣り合わないと気にするほど、完璧な美貌と優しい性格、素晴らしい家柄を持つ人だ。

 

 要が「好きだ」と言ってくれても、彼がイギリス人だからストレートな愛情表現をするだけだと思っていた。

 

 彼の告白にまともにとりあえば、後で捨てられて自分が恥ずかしい思いをする。

 

 そう考えて彼には本気にならないようにしていたのに――。

 

 ある日突然、知らない大人の男性のような格好をしてプロポーズをしてきた。

 

 まだ結奈は中学生なのに、だ。

 

 普通に考えて信じられない。

 

 ハッキリしない返事をしたまま共に過ごし、気が付けば付き合っていた。

 

 キスをして、肌を見せ合う関係にもなった。

 

 だからこうして一緒にお風呂に入っていても、おかしくはないのだけれど――。

 

「……かなめ……。なんで……。……や、あっつい」

 

 結奈は要に、背後から抱きかかえられてバスタブに浸かっていたようだ。

 

 思い出したように体の火照りを感じた結奈は、弱々しい声で上がりたいと告げる。

 

「上がるか?」

 

「……ん」

 

 頷いて、結奈は胸や下腹部を手で隠して立ち上がる。

 

 すると一瞬頭がスゥッと冷たくなり、体が傾いでしまった。

 

「っ、無理をするな!」

 

 とっさに要が力強い腕で結奈を支えてくれる。

 

「結奈はずっと何も食べていなかったんだ。急に動いたりすると、貧血を起こしかねない」

 

「……ど、して……」

 

 頭の中が霞がかったようになり、何も思い出せない。

 

 自分はどうして要といるのか、ここはどこなのか、結奈には何も分からない。

 

「ひとまず上がって何か口に入れよう」

 

 そう言って要は結奈をバスタブから上がらせると、フカフカのバスタオルで包み込んできた。

 

 体を拭いたあと水を用意し、結奈はありがたくミネラルウォーターを飲む。

 

 なぜだか分からないが、ただの水なのにとても甘く美味しいと感じた。

 

 そのあいだ要は結奈にフェイスケアを施し、体にも丁寧に化粧水を塗り込んだあと、ジョン・アルクールの桃のボディクリームを塗ってくれた。

「……いい、香り。さっきもこの香りで……気が付いたっていうか……」

 

「バスオイルを使ったからかな」

 結奈の裸身を白いガウンで包んだ要が、小さな声で「良かった」と呟いた気がした。

 

「歩けるか?」

 

「うん……」

 

 要の手を借りて立ち上がり歩こうとするが、やはり少しフラついてしまう。

 

「掴まってろ」

 

 すると要がグイッと結奈を抱き上げ、そのままスタスタと続き部屋に向かった。

 

「ここ……どこなの……?」

 

「ニューヨークのホテルだ。軽食を頼む。何でもいいから腹に入れろ」

 

 そう言って要はルームサービスを英語で頼む。

 

 彼は髪が濡れたままだったので、また洗面所に向かってドライヤーの音が聞こえた。

 

 そのあいだ結奈は、ぼんやりと窓から見える摩天楼を眺めていた。

 

 ネオンはすべて英語表記で、見慣れないのも当たり前だ。

 

 そもそもニューヨークなど来た事がない。テレビでタイムズスクエアという場所を見た事があるが、ここも賑やかな感じからして中心部なのだろうか。

 

 ぼんやりと考えている間、髪を乾かした要が戻って来た。

「…………」

 彼は隣に座ると、紫色の瞳でジッとこちらを見てくる。

 

 結奈の髪を撫で、黒くてまっすぐな髪を手で梳き、サラサラと零してゆく。

 

 彼の視線や手を、結奈はどこかうつろな気持ちで受け入れる。

 

 どうして自分がここにいるか分からないし、なぜ目の前に要がいるのかも分からない。

 

 彼は確か忙しかったのではないだろうか。「しばらく会えない」と言われた気がするのに。

「……私……、どうしたんだっけ……」

 

 

「結奈、久しぶりにキスしようか」

 呟いた途端、要が抱き締めて唇を奪ってきた。

「……ぁ……、……ン」

 ちゅ、ちゅ、と柔らかな唇が重なる感触を、随分久しぶりに覚える。

 

 結奈を包み込んでくる要の香りも甘酸っぱい学生時代の記憶を彷彿とさせ、彼女は彼に気付かれないようにそっと息を吸い込んだ。

 

(いい香り……)

 

 匂いは記憶と密接な関係にあると聞く。

 

 要のこの香りを嗅ぐと、プロポーズされた日や初めてキスをした日、何度もデートを重ねた日々を思い出す。

 

 周りの人が要をうっとりと見て、結奈を羨望の眼差しで見るのが少しむず痒かったのも記憶にある。

 

 だが昔の事について思いを巡らせられたのも、そこまでだった。

 要の舌が結奈の唇を舐め、甘い疼きが体に散らばってゆく。

 

 要に求められているという悦びを思い出し、結奈は自然と彼の体に手を回し、縋っていた。

「あ……ふ、……ン、……んぅ」

 そのうち要の舌が淫らに動き出し、クチュクチュと濡れた音が静かな室内に響く。

 

 結奈もおずおずと舌を伸ばし、拙いながらもキスに応じた。

 要のキスは前と変わらない。

 

 

 情熱的で、こちらのすべてを奪ってくるようなキスだ。

 

 頭の一部がジンと痺れ、結奈はすべての思考を放棄し、いつの間にかキスに耽溺していた。

 要に抱き締められぼんやりとしていると、ルームサービスが運ばれてきた。

 

 どうやら今は夜らしいが、何時なのか正確に分からない。

 

 食欲はあまりないが、空腹なのは確かなようなので、サンドウィッチを口に入れる。

「……あんまり、見ないで」

 ダイニングの向かいに座っている要が、嬉しそうに見ているので食べづらい。

 

 軽く睨んでも、彼は笑みを深めるだけだった。

 

 ニューヨークにいるからと言って、夜の街に繰り出したいという気にもならない。

 

 結奈は歯を磨くと、要が用意してくれたパジャマを着て巨大なベッドに潜り込み、いつの間にか眠ってしまった。

**

「ぁ……う……、う…………」

 結奈は寝汗を掻き、悪夢を見ていた。

 

 なぜか自分の両親が炎に包まれているのだ。悲しそうな、結奈を心配するような顔でこちらを見て、両親が焼かれている。

 

 ドンッと強い衝撃を感じたのは、爆発だろうか。

「っいやぁあ……っ!!」

 

 結奈は悲鳴を上げ、ハッと目を覚ます。

 

「結奈、大丈夫か?」

 

 すぐ横で眠っていた要が結奈を抱き寄せ、薄闇の中で顔を覗き込んでくる。

「かな……め……」

 自分には両親がいるはずなのに、なぜかそのとき結奈は「自分には要しかいない」と直感した。彼しか縋るものがいないと、結奈は彼に抱きつき胸板に顔を押しつける。

「あの……ね、お父さんとお母さんが火の中にいた夢を見たの……っ、夢でも、縁起悪い……っ」

 グスグスと洟を啜り、結奈は悪夢の内容を打ち明けてそれをなかった事にしたがる。

 

 要は少し沈黙していたが、結奈を優しく撫で「それは怖かったな」と慰めてくれる。

 

「また眠れるか? 何がしたい?」

 

 いつになく要が優しい。

 

 結奈は涙を拭い、彼の香りをそっと吸い込んだ。

「……要の側にいたい。……要に触ってると、安心する……」

 

「……じゃあ、もっと触れ合うか?」

 

「え……?」

 彼の意図する事が分からないでいると、ぷつんとパジャマのボタンが外され始めた。

「要……?」

 

「結奈が嫌なら、抱かない。ただ抱き締めるだけだ」

 あっという間にパジャマを脱がされ、結奈はパンティ一枚の姿になる。要もスウェットズボン一枚という姿なので、抱き合うとぬくもりが混ざり合った。

 

「これも邪魔だな」

 

 要が自分のズボンを脱ぎ、結奈に脚を絡めてくる。

 

「どうだ? 安心するか?」

 低い声に囁かれ、要の匂いに包まれる。

 

 滑らかで温かな肌に触れ、あれほど不安だった気持ちがふぅっと安らいだ。

「うん……。こうしてるの……好き……」

 

「じゃあ、これからずっとこうして寝よう」

 ちゅ、と額に唇が押し当てられ、その感触にも安堵した。

 

 トロトロと結奈の目蓋が落ち、また眠りの淵に落ちてゆく。夢を見るのは少し怖かったが、側に要がいてくれるなら安心だと思っていた。

**

 だが小康状態は長く続かなかった。

 ニューヨーク滞在三日目の夜、結奈はすべてを思い出してしまった。

「わた……っ、し、が――、悪かったの……っ、私が……っ、私さえ……っ」

 要の腕の中で結奈は苦しげにもがき、ボロボロと大粒の涙を流して嗚咽する。

 

 要は苦しげな表情で結奈を抱き締め、暴れる彼女に顔を引っ掻かれようが、胸板を叩かれ脚を蹴られようが、ジッとして苦痛をシェアしていた。

 

「大丈夫だ、俺がいる。……俺だけは、絶対に結奈の側を離れないから……っ」

 

 要も長年世話になった邦宏と茜を喪い、心に傷を負っている。

 

 結奈の慟哭に当てられ、彼の目にも悲しみが宿っていた。

「は……っ、は、――――は、ふ、――――っ」

 

 ふと結奈が苦しげな表情になり、はくはくと口を喘がせる。

 

「結奈?」

 

 覗き込む要の目を見つめながら、結奈は上手く呼吸ができず悲しみとは違う涙を浮かべていた。

 

 ――苦しい。

 

 ――息ができない。

 

 ――死ぬ。

 

 ――いや、このまま死んでもいいのかも。

 

 意識が薄れようとした時、唇に温かなものが覆い被さった。喘ぐ呼吸を妨げられ、ふ……と結奈の意識がのっぺりとした黒に塗りつぶされる。

 

 そのあとフゥッと口内に酸素が入り、結奈は夢中になってそれを貪った。

 

「ぁ……、はぁっ…………は、――あ、……あぁ……っ」

 

 唇が離れると結奈は懸命に新鮮な酸素を吸い込んだ。

 

 吸って、自分の肺に生命の源が入り込むのを感じ、――また涙を流す。

 ――お父さんとお母さんは、もう息をしていない。

 抜け殻のようになって涙を流す結奈は、幽玄の美しさを醸しだす。

 

 こんな時だというのに腰に欲を覚えた要は、知らずに唇を舐めて結奈に覆い被さった。

「結奈、大丈夫だから。俺がいる」

 

 力強い囁きに、結奈の瞳が揺れた。

 

「じゃあ……、抱いて。滅茶苦茶になるぐらい、私が壊れるぐらい、――抱いて」

 

 結奈の目はぼんやりと定まらず、彼女が捨て鉢になっているのを示している。だから当然、要は戸惑った。

 

 結奈の事は心から愛しているし、いつだって抱きたい。

 

 だが悲しみを肉欲で癒やすようなやり方をして、果たして結奈の負担にならないか恐れたのだ。

「……いいのか?」

 

「……いいの。……何も考えたくないの。お願い……忘れさせて」

 涙を流したまま、結奈が微かに笑う。

 

 それはとても刹那的で、ともすれば今にも彼女が音もなく崩れ去る幻想を生む、空虚な笑いだった。


「ぁ……、あ、……は、…………ン、ぅ」

 すべて衣服を脱ぎ去った結奈は、要にねっとりと乳首を吸われ、全身をくまなく愛撫されていた。

 

 要と肌を重ねるのは初めてのとき以来なので、結奈もセックスがどういうものだったのか、半ば忘れている。

 

 それでも要の愛撫に身を任せていると、体の深部に熾火ができ、ジリジリと体温が高まってゆくのが分かった。

「かなめ……。入れて、……いいん、だよ……?」

 このまどろっこしい愛撫が頂点に達した時が怖く、結奈は手っ取り早い解決法を望む。

 

 だが要は「駄目だ」と首を横に振った。

 

「するの二回目の癖に、生意気言うな。このまま突っ込んだら中が傷つくに決まってるだろう」

 

 チラッと要の下腹部を見ると、既にギンと反り返って彼こそ苦しそうだ。

 

(あんなの入るのかな。でも要のなら、別に傷ついてもいいのに)

 

 ぼんやりと噛み合わない事を考え、結奈は内腿を撫でられヒクヒクッと腰を跳ね上げた。

 

「……濡れてる」

 

 要が目に情欲を宿し、つ……と結奈の秘唇を撫で上げる。

 

「あ……っ、……ん」

 

 慣れていない体は、周囲に触れられただけで敏感に反応する。

 

 要に愛して欲しいと思うのに、結奈はどこか恐怖を覚えていた。

「指、入れるぞ」

 一言断ってから要が指を一本挿し入れてくる。

 

「ん……っ」

 異物が入り込む感覚に、結奈は眉間に皺を寄せる。

 

 チャプチャプと浅い場所を掻き回され、次第に気持ちが酩酊してゆく。やがて指がくぷっと奥の方へ入り込む。

 

「あ……、ァ、……ん、ぁ……やあ、あ……」

 

 体の底の方からゾクゾクとしたものがこみ上げ、結奈はいまだ乳房にしゃぶりつく要の髪を、両手でかき回す。

 

「気持ちいいか?」

 

「ん……っ、きもち、……ぃ……っ」

 四年、要と肌を重ねていなかったので、結奈の蜜壷は最初こそ要の指に違和感を覚えた。

 

 だが優しく何度も擦られているうちに秘所はしとどに濡れ、要を受け入れるように変化していく。

 

「柔らかい。……熱くて、凄く締め付けてくる」

 

 たっぷりとした結奈の胸に吸い付いたあと、要が独り言のように呟いた。

 

「やだ……っ」

 

 それが恥ずかしくて力なく首を振れば、結奈の黒髪がパサパサと音を立てる。

 

「『やだ』じゃないだろ? 感じてるからこんなに濡らしてる癖に」

 チュプ……と蜜壷から引き抜いた指には、たっぷりと透明な蜜が纏わり付いている。

 

 要は結奈の腰を抱え上げ、その下に枕を入れる。ぽってりと腫れ上がった秘唇を陶然と見下ろし、艶冶な溜め息をついた。

 

 唇をギュッと引き結んだのは、こみ上げる衝動を必死に抑えたからだろうか。

「久しぶりに味わわせてくれ……」

 

「や……っ」

 大きく開かれた太腿のあわいに、要が整った顔を近付けてくる。

 

 まだ一度しか経験のない結奈に、口淫はあまりに恥ずかしすぎる行為だった。

 

 彼の指がくぱ……と結奈の秘唇を広げ、平らにした舌を押しつけてきただけで、ヒクンッと腰が跳ね上がる。

「あ……っ、ふ、ぁ、――あ、ン、かな、……めっ」

 

「大丈夫だ」

 低い声に囁かれ、結奈はギュッと目を閉じて恥辱の時を堪える。

 

「ぁ……」

 

 だが敏感な場所をピチャピチャと舐められる音が立ち、「我慢しよう」と思った気持ちも瓦解してゆく。

 

 滑らかで温かな舌がひらめくたび、結奈の理性がとろけて形を崩してゆく。

 

 恥ずかしい花弁を辿られ、秘密の孔をくじられる。高い鼻先がクリュッと膨らんだ肉芽を擦り、唇から嬌声が漏れた。

「ひ――ぁうっ、あ、――ア、かな、……めっ」

 

「おいし……。結奈……」

 結奈の肌からはふんわりと桃の香りがし、要はそれを鼻腔いっぱいに吸い込みつつ口淫を続ける。

 

 小さな蜜孔にチュポチュポと尖らされた舌が入り込み、そのあと下から上へ秘唇を舐め上げ、膨らみきった肉真珠を舐め回す。

 

「あ……っ、きゃ、あ……っぁ、――あやぁっ、ア、ぁ――ぅ」

 結奈は両手で要の頭を押さえ、懸命に押し返す。

 

 気持ち良くて本能は「もっとしてほしい」と思うのに、好きな人にこれ以上自分の痴態を見せたくないという乙女の部分が手に力を加えさせた。

「結奈、抵抗するな。忘れたいなら俺を受け入れて、快楽に身を任せろ」

 だがそう言われ、頭の奥に辛い現実がある事を思い出す。

 ――嫌だ。

 

 ――あれを直視したくない。

 

 ――そう、今は要に溺れないと。

 

「受け入れよう」と思った瞬間、結奈の体はたやすく快楽に堕ちていった。

 

「ひぁ……っ、あっ、う、――ぁ、い、――ぃ、く……っ」

 

 ピチャピチャと肉真珠を舐められ、強すぎる喜悦がこみ上げてくる。

 

 結奈の昂ぶりを察した要は、泥濘んだ場所に指を二本挿し入れ、クチュックチュッと先ほど彼女が感じた場所を擦りたてた。

 

「駄目……っ、ダメ、ぁ――あ、あぁああ……っ!!」

 

 一瞬にして頭の中が真っ白になったかと思うと、結奈はガクガクと体を痙攣させ深い随喜を味わっていた。

 

 達したあとも要はしつこく結奈の弱点を舐め続け、指を動かし続ける。

「やぁあっ、ダメっ、ダメッ、ぁ、――あぁあ……出……ちゃうっ」

 口端から透明な糸を引いた結奈は、頭を振り立て必死に要に抵抗した。

 

 だが――、

 

「っああぁああぁ――っ」

 

 プシャッと透明な飛沫が噴き出てしまい、好きな人の顔を汚す。

 

「やぁあ……あぁ、あ……っ、ごめんなさい……っ、ごめ……っ、あ、あぁ……」

 

 涙を流して謝罪する結奈は、「ごめんなさい」という言葉の中にある種の救いを得ていた。

 

 誰も事故の事で結奈を責めなかった。

「どうしてお前一人生き延びているのだ」など、優しい結奈の親戚は決して言わなかった。

 

 けれど時として、人は責められた方がまだマシと思う状況を味わう。

 今の結奈がそうだ。

 大好きな両親を自分の我が儘が原因で死なせてしまい、結奈自身は大きな怪我を負わなかった。

 

 誰にも責められず、腫れ物を扱うようにしてフワフワと優しい言葉を掛けられ――。

 

 そこに結奈が求めた〝現実〟はなかった。

 あえて辛い立場になりたいと求める、被虐趣味のつもりではない。

 

 だが結奈は「自分は責められて当たり前」と思い、誰かに責められる事を望んでいた。それが結奈の求める〝罰〟だ。

 

「ごめんなさい。すみません」と泣き叫び、好きなだけ謝罪したあとに、誰かに「もういいよ。十分謝ったから、前を向いて歩こう」と言ってほしかった。

 都合の良すぎる思いを一人で抱え、誰にも言えずにいた結奈の気持ちを、現実で忙しく生活している親戚は分かるはずもない。

 

 彼らには明日からの毎日があり、結奈をどこでどうするかという、もっと現実的な問題を抱えていた。

 

 本来なら結奈は精神科に入院し、薬物治療とカウンセリングを重ね、自分の心に向き合うはずだった。

 だがまだ現実を見られていない結奈を要が横からさらい、更に非現実な世界へ連れて行ってしまった。

 

 東京ではない別世界で、結奈は事故後初めて「ごめんなさい」と口にできた。

 

 それは〝現実世界〟にいる祖父母や叔父叔母には届いていない。

 

 しかし自分を一番知ってほしいと願う、要の耳にちゃんと届いた。

 

「――ごめんなさい……っ、ごめんなさいっ、――許して……っ」

 

 いつの間にか泣き叫んでいた結奈は、要にきつく抱き締められ、何度もキスをされていた。

 

「大丈夫だ。結奈の願いはもう届いている」

 

「うそ……っ、私……っ、私なんか……っ」

 子供のように両手で目元を覆い、結奈は体を震わせ嗚咽する。

 

 要はそんな彼女を辛そうな目で見やり――、自分がすべき事を思い出して再び結奈の太腿を割り開いた。

 

 本当は結奈に寄り添って優しく接し、彼女の痛みをシェアしたいと思っていた。

 

 だが専門家でもない要は、彼女を癒やす良い言葉を知らない。

 だからこそ――、彼は彼でしかできない方法をとるしかない。

 

 屹立に避妊具を被せ、要は痛みを堪えるような表情で結奈の中に入っていった。

 

「あぁ……っ」

 

 グプッと大きな亀頭が蜜口に入り込み、結奈が苦しみの混じった喘ぎを漏らす。

 

「結奈。――俺を見ろ。俺だけを見るんだ」

 

 要によって優しく両手を退けられ、涙に潤んだ目が婚約者を映す。ゆっくりと自分の中に熱く滾った半身を埋め込む彼は、これから結奈を蹂躙し征服する。

 

 薄暗いスイートルームの豪奢な室内を背景に、間接照明に見事な裸体を浮かび上がらせた要が、ジッと結奈を見つめている。

 

「あぁ……あ……かな、め……」

 

 お腹の中がミチミチとこじ開けられ、要の形になってゆく。

 

 たっぷり潤った場所に婚約者が入り込み、結奈の意識を奪っていこうとする。

 

「……こんな私で……、ごめんなさい……」

 

 悲しみにまみれた声を、要の唇が吸い取る。

 

 ちゅ、ちゅと優しく啄んで、舌でねっとりと結奈の口内を掻き回し、何度も「いい子」と頭を撫でてきた。

 

「俺は結奈のすべてを愛してる。君は俺を救ってくれた。それがどんなに俺の心に光を与えたか、結奈は分かっていないだろう」

 

 慈愛に満ちた眼差しを注がれ、結奈は新たな涙を零してゆるりと首を振る。

 

「……してない……。私、要みたいな素敵な人を救ったりしてない……。私は……、要の足を引っ張るしか……できない――」

 絶望にまみれた結奈の声を聞き、紫の瞳が切なげに細められた。

 

「今はそれでもいい。生きて、俺の側にいてくれ」

 

 最奥まで埋まって媚肉が馴染むのを待っていた要が、ゆるゆると腰を動かし始めた。

 

「……あぁ……あ、……ん、あぁ、……あ……」

 

 肉襞を剛直に擦られ、ゾロゾロと得体の知れない快楽が体を支配してゆく。

 

 ――そう。

 

 ――これが、欲しかった。

 

 ――何も考えないで済む、一番のお薬。

 結奈はしなやかな両腕で要を抱き寄せ、彼から立ち上るベルガモットの香りを思いきり吸い込んだ。

 

 温かい皮膚の感触を貪り、その中に安寧を見いだそうとする。

「要……、かなめ……っ、私の側にいて。……私に触って。私を抱き締めて。ずっとずっと、側にいて……っ」

 

 眦からとめどなく涙を流し、結奈は喪った両親に求める愛情をすべて要に求める。

 

 ズンッと最奥まで屹立が叩き込まれ、意識が一瞬遠い場所に飛んでいった。

 

「側にいる。結奈だけ見て、ずっと守る。約束する」

 

 耳元で熱い声に囁かれ、ネロリと耳朶を舐められる。

 

 大好きな人の声が直接脳髄に響いた気がして、それだけで結奈の膣はピクピクッと要を吸い込む動きをした。

 

「俺だけのものだ……っ。俺が、俺だけが、これからの結奈の人生をすべてもらい受ける……っ」

 

 ずん、ずん、とゆっくりと、だが確実に最奥まで結奈を穿ち、要は彼女の唇がジンジンするまで執拗なキスを繰り返した。

 

 それが終わると真っ白な肌に痕が残るまでキスマークをつけ、色づいた胸の尖りにしゃぶりついたまま、ひたすらに腰を打ち付ける。

「あぁあっ、あぅ、あ、――あぁーっ、あ、ン、あぁっ、や、……あぁっ」

 

 いつの間に結奈は自身を責める言葉を口にしなくなり、ひたすらに要を求める事に集中していた。

 

 彼が律動するたびに体と心にとてつもない悦びが迸り、「求められている」という自己肯定感が満ちてゆく。

 

 要が求めるのなら、どんなはしたない姿でもするし、どんな淫らな言葉だって口にする。

 

 グッチャグッチャと蜜壷が攪拌される凄まじい音に脳が興奮し、魂そのものが震えるような随喜を覚える。

 ――嬉しい。

 

 ――求められている。

 ――要が、私を求めてくれている。

 見るからに美しくて完璧な幼馴染みが、全裸になって獣のような声を出し、無我夢中で結奈を犯す。

 

 そのありさまに結奈はゾクゾクと心の快楽を得て、この夢のような状況から醒めたくないと思っていた。

 

「結奈、――っ、いちど、達っておけ……っ」

 

 荒い呼吸を繰り返す要が、上体を起こしグリグリと子宮口を攻めながら、結奈の陰核を指でいじめてきた。

 

「っああぁあうっ! あっ、あーっ!!」

 

 結奈は鋭い声を上げていきみ、腹の奥で要をジュルルッと吸い込んで彼の射精を誘った。

 

「――ん、ぐ、……う、うぅっ」

 

 だが要は眉間に深い皺を寄せ、歯を食いしばって射精を堪えると、絶頂に達したばかりの結奈をさらに追い込んでゆく。

 

「ぃあ、あっ、あァあっ、ダメッ、――ぁ、ダメッ、今、いまっ、達ったの、達ったのぉっ!」

 

 泣いて首を振る結奈の頭を撫で、要は子供に言い含めるように諭す。

 

「たくさん達け。誰も怒らない。結奈はたっぷり俺に愛されて、俺の事だけ考えていればいい」

 

「あぁ――……」

 ――なんて、罪深いほどに甘い言葉なのか。

 

 とろぉ……とした意識の中で、結奈は現実に囚われていた最後の理性や悲しみ、自責などを放り投げた。

 そこから、何時間交じり合ったか分からない。

 覚えている限り結奈は体と言葉のすべてで要を求め、セックスの事しか考えられない体になりたいと望んでいた。

 

 要はいっそストイックなまでのひたむきさで結奈に応え、彼女の心と体を愛し抜いた。

 経験は二回目だというのに、結奈は淫奔に花開き、そこに何度も要が溶け入っては果てた。

 

 体位を変え、濃厚なキスをして唾液を交換し、休憩の時は互いの性器を口に含んで次の交わりに備えた。

 

 要は結奈の求めにすべて応え、結奈もまた要が求める事すべてに応じた。

 ニューヨークが朝を迎える頃、結奈は巨大なベッドに仰向けになる要の体の上に寝ていた。

 二人の下腹部は繋がったままで、結合部はどちらの物ともつかない体液でまみれている。

 

 もう意識が堕ちる寸前まで疲弊した状態で、結奈は要の鼓動に耳を澄ませていた。

 

 要は大きな手で結奈の背中を撫で、時に腰や尻たぶも撫で、艶やかな髪に触れてまた体に戻る。

 

 何も言わなくても、側にお互いがいるだけで満たされる。

 そんな状況に結奈は心からの喜びを覚え、ゆっくりと眠りに就いていった――。

 

 

**

 

 

 合計で十日ほど、要はニューヨークで〝仕事〟をしていたようだった。

 昼間彼がホテルを空けているあいだ、結奈の元に優しそうな面差しの女性がついて面倒をみてくれた。

 

 要がいる時に男性の医師もやってきて、結奈の様子を見ては薬を置いてゆく。

 

 海外の医師や処方箋、薬の事情は分からないが、結奈は言われるがままに薬を飲んでいた。

 朝食と夕食は必ず要と一緒だが、日に日に食欲も落ちて豪華な食事も喉を通らなくなってゆく。

 

 それでも彼の膝の上に載せられ、スープなど軽い物を飲まされている時は、子供のように甘えて少しだけ胃に入れられた。

 

 セントラルパークを一緒に歩く程度の外出はしたが、基本的に結奈はスイートルームに引きこもり、睡眠薬がもたらす眠気に任せベッドに横たわっていた。

 

 やがて要が結奈に高級そうな服を着せて外出する日がやって来て、結奈はホテルの地下駐車場まで行く。

「……移動するの?」

 

「ああ。悪いな、移動ばかりで」

 

「……ううん。要が一緒にいてくれるなら、何でもいい」

 見るからに高級そうな車は、ニューヨークにある要のガレージから出した物だそうだ。このように、各国にいつでも使える車が用途別に何台もあるらしい。

 

「……このホテル、一泊幾らしたの……?」

 

 車の中でも結奈は要にべったりとくっつき、彼の腕を抱き締めるように甘えている。

 

「結奈は知らなくていい。俺がいつも仕事で使っているホテルだから、特に高いホテルでもない」

 

 あれだけ部屋数がたくさんあるスイートルーム――しかも高層階――に泊まっておいて、「高いホテルではない」と言うのも語弊がある……と思うのだが。

 

「これから……どこ行くの……?」

 

「空港に向かって、まっすぐヒースローに向かう。俺のジェットだから、空港でのチェックインとかは考えなくていいから」

 

「……うん……」

 ウトウトと瞬きをし、結奈は車外の賑やかな街並みを見る事もなく、空港までうたたねをして過ごした。

**

 途中、ゴォォ……というジェット音をずっと聞いていた気がした。

 

 だが結奈はベッドに横になっており、隣には要の綺麗な寝顔がある。

 

 状況はよく分からないが、要が側にいてくれるという事に安堵し、結奈は薬によってもたらされた眠気に逆らわなかった。


 次に目を覚ました時は、また賑やかな街並みの中だった。

 ニューヨークは近代的なビルばかりだったが、ここは都会的な街並みの中に歴史的な建物が見え隠れする。

 

 その街並みは、記憶にあるような気がした。

 

 やがて停車した車から、結奈は要にエスコートされてフラフラと外に出る。

 暑い……と僅かに感じて、今が夏なのだろうな、とぼんやり思った。

 

 守衛がいる門をくぐると、目隠しのようになっているこぢんまりとした庭があり、その奥に一軒家があった。

 

(こんな大都会の中に一軒家ってあるんだ)

 

 そこがロンドンの一等地メイフェアで、そこに一軒家を持てば数十億以上かかるなど結奈は知らない。

 

 案内されるがままに中に入ると、執事らしい背の高い男性が出迎えた。

『ご主人様、お帰りなさいませ。こちらが結奈様ですか?』

 

『ああ、女主人だと思って仕えてくれ。いずれ本当に結婚するから、練習だ』

 英語で話す要と執事を見て、結奈はボーッとしたまま「英語で会話してる」と思っていた。

 

「結奈、これはジェームズ。俺の執事だ。言語は英語になるが、言えば何でも叶えてくれる」

 

「……人に向かって〝これ〟なんて言ったら駄目」

 

 気に掛かった事を口にすると、要が破顔した。

 

「悪い、つい癖で」

 

 言ってしまってから、イギリス貴族と執事という間柄には、日本人の結奈には想像できない関係があるのかもしれない、と思った。

 

 日本ではもうすでに華族制度というものを廃されて久しいが、イギリスではいまだ貴族制度がある。

 

 要が爵位を継げば、彼はシャーウッド伯爵という地位になる。

 

 その財産も、人間関係も、結奈が知らないだけで世界を股に掛ける恐ろしいもの……の気がする。

 

 結奈が受け取ったあの大きなダイヤモンドを見れば、要の財力を想像しやすいのかも分からない。とにかく、あの指輪が八千万ほどしたのは確かだ。

 

「結奈の部屋も用意してあるから、後で案内する。ジェームズが紅茶を淹れるから、今は適当にそこらでくつろいでくれ」

 

 通されたリビングには暖炉があり、壁には恐らく有名な画家による絵、そして結奈がよく知る高級陶器ブランドの絵皿が掛かっている。

 

 ソファは見るからに高級そうなチェスターフィールドソファで、テーブルもデザイナーによる一点物だと何となく想像できた。

 

 恐る恐るソファに腰掛けると、程よい弾力が尻の下にある。

「ここは……要の家なの?」

 

「ああ、そうだ。両親が住むタウンハウスはまた別にあるが、近い地区にあるからすぐ会える。結奈が昔訪ねてくれたマナーハウスは、遠方にあるが……」

 

 要はスーツのジャケットをジェームズに預け、ついてきた柿崎に荷物の指示をしている。

 

 夏場だというのにきっちり三つ揃えのスーツを着ていた要は、シャツとベスト姿になっても匂い立つような大人の色気がある。

 

 なぜか彼を直視できず、結奈は落ち着かずに視線を彷徨わせた。

 

 ニューヨークにいるあいだ彼と毎日肌を重ねたのも、昼間になると嘘のように思える。

 昼間の要はスッと上品な男性で、この上なく格好いい。

 

 身長が高く、高級そうなスーツを着こなしているだけでも圧倒されるのに、鍛えられた体は胸板に厚みがあり、立っているだけで堂々とした雰囲気がある。

 

 そこにいるだけで、要は他者と違う威圧感を醸し出している。

 

 静かに新聞を読んでいる要を見ると、「自分が声を掛けてはいけない」と思わせるオーラがある。

 

 そんな彼が、どうして自分にここまで優しくしてくれるのだろう……と結奈は不思議でならない。

 

『アッサムをお淹れしました。結奈様はお疲れのようなので、口当たりのいいミルクティーを』

 

 そこにジェームズが現れ、有名茶器に紅茶を注いでゆく。

 

 結奈がぼんやりしている間に、帰宅のタイミングに合わせて作られたサンドウィッチや、スコーン、ペストリーなどが三段のティースタンドに並んでいる。

 

「すごい……。アフターヌーンティーだ」

 

 興味を示した結奈に、要は表情を和らげる。

 

「ここを第二の家だと思ってくれて構わない。アフターヌーンティーが好きなら、いつでも用意させる。……まぁ、数日後にはまた移動になるが」

 

「パリ、だっけ」

 

「ああ。セーブル焼きの買い付けの下見をして、それから少し人に会って話をする」

 

「営業……とかは会社の人がするんじゃないの?」

 

「いい物は自分で見定めたいんだ。それから買い付けるかどうか、判断して部下に頼む。あとはひたすら人脈作りだ。俺はまだ若造だから、今はシャーウッドJr.として各国の要人に名前と顔を覚えてもらう必要がある」

 

「大変だね」

 要が紅茶を飲んだので、結奈も真似てミルクティーを飲む。

 

 芳醇な紅茶の香りに、ミルクのまろやかさが絶妙に交じり合い、とても美味しい。

「そうでもない。立派な大人になれるために、子供の頃から準備してきた。来るべき時がやって来ただけの事だ」

 

「……要は、立派だね」

 

「結奈を妻にするためなら、なんだってする」

 要がジッとアメジスト色の瞳で結奈を見つめ、真剣な面持ちで答える。

 

 まるで口説かれているようで落ち着かず、結奈は視線を泳がせて紅茶をまた飲んだ。

「結奈が知っている通り、俺の家はイングランド貴族だ。父さんが母さんを娶る時も、親戚から色々言われたようだ。俺も父さんと同じく、日本人である結奈を妻にしたいと思っている。そうするには、俺が人種や血など関係ないという、絶対的な才を見せつけなければいけない」

 

「…………」

 自分が漠然と思っていた〝婚約〟〝結婚〟より、要が見ている現実はもっと厳しいもののようだ。

 

 要はごく一握りの人しかなれない〝イギリス貴族の当主〟となる人物だ。

 

 そんな人の妻なら、イギリス貴族の令嬢や、セレブの女性がなってもおかしくない。

 

 今になって結奈は「自分でいいのだろうか」という不安を抱き始めた。

 

「突然こんな話をしてすまない。だが俺はもう既に親戚連中に、結奈を妻にすると宣言してある。そのために日本に住みながらフィンチェスターに進む勉強をし、結奈と離れて大学に進みストレートで卒業した。俺がここまで努力したのも、すべて結奈と結婚するためだ。……だから結奈は、何も迷わず俺と一緒になる事を考えてほしい」

 

 それはある意味、「自分はお前のためにここまでしたのだから、絶対に結婚しろ」という他に選択肢を与えない宣言だった。

 

 だが要以外の男性など目に入らない結奈は、彼の一途さに愛しさの混じった呆れを覚えつつ苦笑するしかない。

「……分かった。要を信じてる」

 

 結奈の答えに要は満足そうに微笑み、立ち上がって結奈の隣に腰を下ろし、キスをした。


 それから移動で疲れ切った結奈は、屋敷の二階にある寝室で横になり、時間も忘れて寝入った。

 

 薬を飲むための食事をし、それが終わると要と一緒にバスタイムを過ごし、自然に二人でベッドに入る。

 

 ロンドンで穏やかな日々を送ったあと、結奈は要と共にパリへ向かった。

**

「うぅーっ、う……っ、あ、あぁあ、……っ、あっ」

 結奈は号泣したまま、要に背後から貫かれていた。

 

 パリのホテルに連泊しているあいだ、また結奈の発作とも言うべく症状が現れたのだ。

 両親の死は自分に責任があると泣き叫び、下手をすると自傷行為すらしかねない。

 

 昼間は専属カウンセラーに抱きついて泣き続け、要が帰ったあとは彼の腕に抱かれて号泣した。

 

 ニューヨークで要に向かって蜜潮を噴いてしまった事をきっかけに、結奈は行為を通じて謝罪の言葉を口にする事で、なんとか己を保っていた。

 

 今も一度派手に達したあと、背後から獣のように突き上げられ、慟哭しながら感情を解き放っている。

 

 ただ抱きついて泣くよりも、こうして深く穿たれているほうが〝仕置きを受けている〟気がして幾分楽に思えた。

 しかしこの頃の要はまだ結奈に愛情を注ぐばかりで、それを歯がゆく思う時も多い。

 

 自分はなんて淫奔な女になってしまったのだろうと絶望すると同時に、信頼しきった要だからこそ、望むすべてを叶えて欲しいと願っていた。

 

 綺麗な服も、立派な住まいも、高価な食事もいらない。

 

 ただただ、自分に〝謝る理由〟を与えてほしかった。

 

「要……っ、あぁ、――あーっ、もっと、……もっと、強くして……っ、ひどく、――してっ、痛くしていいから……っ」

 

 ボロボロと涙を零して結奈が求める。

 

 後ろの要は一瞬躊躇った空気を発したあと、ヒタリと結奈の尻たぶに掌を当て、ピシャンッと軽く叩いてきた。

 

「うぅーっ! ――あっ、あ、……もっ、かい、……叩いて、……ぶって!」

 

 当たり前に痛い。

 

 だが痛みというものを、今の結奈は心から渇望していた。

 

 要はもう一度、先ほどのように手加減した強さではなく、思い切ったかのようにパンッと強く結奈の尻たぶを叩いてきた。

 

「あぁああ……っ!」

 

 与えられた痛みに泣き崩れた結奈は、蜜壷できつく要を締め付け、喉から謝罪の言葉を振り絞っていた。

 

「ごめんなさい……っ! ごめんなさいっ、私が、――私が、悪かったの……っ」

 

 汗ばんだ白い背中に黒髪を貼り付かせ、結奈は土下座をするような格好で誰かに謝罪した。

 

 そんな結奈を要は今にも泣きそうな顔で見下ろし、グッと歯を食いしばって、もう一度愛しい女に手を振り上げた。


 その晩の結奈は、いつもより早くに収まり要の腕の中で安らかな表情で眠りについた。

「……俺は、こんな事しかできないのか」

 仰向けになった要をベッドにするようにして、結奈は安心しきって寝ている。

 

 要は彼女の尻にタオルで巻いた保冷剤を当て、ちゃんと婚約者の体のケアをしていた。

 

 結奈の体が冷えてしまわないようにしっかりと羽毛布団を被り、片手で結奈を抱き締めながら要はうつろに豪勢なホテルの天井を見上げる。

 

「それでも結奈の気持ちを思えば……」

 

 結奈に対しては、「可哀想に」という思い以外浮かばない。

 

 彼女がいま薬に頼っていても、まともに食べられず生活リズムが滅茶苦茶になっていても、仕方がないとしか思えない。

 それだけの心の傷を負ったのだ。

 

 泣きじゃくる結奈から、事故に遭うきっかけのドライブは、彼女が言い出した事だと教えられた。

 

 しかしすべてを本人から明かされても、要は結奈が悪いと思えない。

 

 親子喧嘩などどこの家庭でもしているし、その仲直りに家族でどこかに出掛けるというのも、ありふれた話だ。

 

 むしろ仲がいいからこそ、そういう喧嘩と仲直りができるのだと思う。

 要のような家庭に生まれると、互いに思考が大人すぎて喧嘩すらできない。

 

 結奈たちが事故に遭ったというのも、交通事故に遭いやすい場所を通り、その確率に当たってしまったに過ぎない。

 

 交通事故を起こす直接の原因を結奈が作ったでもなく、警察から事情を聞いたところ、三輪山家の車は交通ルールを守っており、相手方が無謀な運転をしたとの事だ。

 

 それのどこに、結奈が自分を責める要因があるのだろう。

 要はそう思ってしまうが、両親を失い独りぼっちになった結奈はそうは思えないのだろう。

 

「自分が悪いのだから」と責め続け、酷い日は要に「罵倒してほしい」と泣いて縋るほどだ。

 

 激しく抱くぐらいなら喜んでするが、要だって結奈を傷付ける言葉を口にしたくない。

 

 今日だって、本当は結奈を叩くのに相当の勇気が要った。

 

「でも……。反応、してしまった」

 自分の中に、サディスティックな部分があると思いたくなかった。

 

 だが結奈をガンガンと突き上げて彼女の白い肌に手を振り下ろした瞬間、要の分身はこれ以上なく張り詰めた。

 

 何度か結奈の尻を叩いて突き上げ、彼女が絶頂して気を失う頃には、要も酷く興奮した状態で射精していたのだ。

 

「……結奈が自傷してしまう事を思えば、俺がきちんと見張っている場所で安全に〝お仕置き〟をしたほうが、効果があるのか……?」

 

 雇っているカウンセラーの話では、要がいない昼間、感情の高ぶった結奈は取り乱して刃物を求める仕草すら見せるらしい。

 

 それを聞いて要は血の気を引かせ、スイートルームにある備品から害になりそうな物をすべて撤去させた。

 今は、ただただ悲しいという感情しかない。

 

 それでも自分は結奈を一生の伴侶にする事を決め、彼女に何があっても守り抜くと自分に誓った。

 要が結奈にもらったものは、たった一言の言葉と笑顔だ。

 

 だが自分のルーツや外見に悩んでいた要は、外部の人間である結奈からありのままを受け入れ、褒められて初めて、「この世で生きていいのだ」と思えたのだ。

 来る日も来る日も差別され、虐められていた要は、自分を卑下し存在してはいけない者だとすら思い込んでいた。

 

 中には本当の貴族らしく、「すべての者に現代の貴族らしく、多様化を認め平等に」という者もいた。

 

 それでもイギリスという伝統ある貴族社会で、アジア人の血を引く要はとても浮いていた。

 

 五、六歳の虐めであっても、被害者が心に傷を負うという事は変わりない。

 

 外見からありとあらゆる差別的な言葉をかけられ、母も保護者同士の繋がりから弾かれていた。

 

 異国の地で孤立する要は、当時六歳にしてすべてに絶望していたのだ。

 

 だがそれを、結奈の幼い、だからこそ偽りのない言葉が救ってくれた。

 

 幼い日に結奈と出会っていなければ、恐らく要はこの年齢になるまで生きていなかっただろう。

 

 何も知らない結奈が要を認め、忌まわしい目すら「綺麗」と言ってくれたからこそ、彼は生きる気力を取り戻した。

 本能で、「この結奈という少女は自分が生きるに必要な存在だ」と察したのだ。

 

 それから後はもうがむしゃらに、結奈を妻にするためだけに生きてきた。

 

 要のほうが結奈に依存していたと言っても過言ではない。

 

 結奈の側で暮らす事を叶え、結奈に求婚し、彼女の気持ちをようやく掴んだ。結奈と互いに初めての体験を味わい、離ればなれになって修行期間を経た。

 

 結奈が二十五歳になる年になるまで、自分は完璧な男になるのだと目標を作った。

 

 脇目も振らず、女性からの誘いに目もくれず、よく学び、友人を作り、高みを目指した。

 ようやくこれから〝立派な男〟になるための基板を作ると言ったところで――、結奈の両親が亡くなってしまった。

 

 事実は受け入れるしかない。

 

 だが腕の中にいる結奈は、自分のやり方によって〝変える〟事ができる。

 

「……絶対に諦めるもんか。俺たちは絶対に幸せになる」

 

 一人呟き、要は心の奥に決意を固める。

 

「優先すべきは結奈の命だ。そして彼女が『明日も生きたい』と希望を持つ事。結奈が望むなら何だって叶えて、彼女を生かしてみせる。そのためなら……」

 

 その先の言葉を口にせず、要は目を閉じた。

 

 自分を〝紳士的な結奈の理想の男〟と思うのはもうやめる。

 

 結奈を生かすためなら、〝欲望に忠実で変態プレイに興奮する男〟にだってなってみせる。

 

 長年結奈に対して抱き続けた想いの底に、自分が目を逸らし続けた獣の本性がある。

 

 要はそれを解き放つ事を、自身に許可した。

 ――なに、問題ない。

 

 ――〝理想の男〟を諦めるだけだ。

 自分に向かって笑いかけ、要は結奈のためにどんな事もすると自分に言い聞かせた。

**

 要のような男が一度〝決意〟をすると、あとはもう話が早かった。

 

 結奈のためにどのような行為が確実な〝仕置き〟になるか調べ、いわゆるSMと呼ばれるものの基礎も本を取り寄せて読みふけった。

 深い知識は、それだけ安全を作り上げる。

 

 下手をすれば結奈の体に傷をつけ、命すら奪うかもしれない行為に、妥協などできない。

 昼間はきちんと仕事をこなし、結奈を伴って食事や散歩などもし、夜はたっぷり彼女を愛する。

 

 最初から高度な事はせず、まず軽い言葉責めから開始した。

 

 自分が口にしても嫌ではない、結奈が望みそうな言葉を選び、行為に混ぜてゆく。

 

「いやらしい女だな。ココが俺を欲しがっている」

 

 そう言えば結奈は涙を浮かべて恥ずかしがり、体を悶えさせさらに蜜を滴らせる。

 

「こんないやらしい女でいいのか?」

 

 羞恥を煽る言葉を口にすれば、結奈は「ごめんなさい」と何度も謝って己の内側に堪った泥を少しずつ吐き出してゆく。

 

 結奈の中にある闇がどれほどのものか、分からない。

 

 要がとった方法がほんの小さな解決法だとしても、何度も繰り返せばきっと結奈の心も楽になっていくはずだ。

 

 彼はそう信じて、結奈を愛しつつ彼女を責める言葉を口にし続けた。

 パリに滞在しているあいだは、部屋に姿見を持ち込んでことさら結奈の羞恥心を煽ったプレイをする。

 

 二人の結合部を見せつけ、彼女のトロトロになった顔を自分で見させ、直視させた上で「気持ちいい、もっと」と言わせる。

 

 すっかり快楽の虜になった結奈は、要が求める事に素直に応じるようになっていった。

**

 要がもう一歩段階を進めたのは、四十九日の法要が終わった日の夜だ。

 案の定結奈は泣き崩れ、葬儀があった自宅でも呆然として何もできないでいた。

 

 結奈を心配する祖父母や叔父夫婦にも、「昼間は専門家をつけ、自分が側にいる時は目を離さず見張っている」と伝え安心させる。

 

 彼女が自傷行為をしそうだという事も隠さず伝え、それを防ぐために刃物などを置かない処置をしている事も告げた。

 

 いつ結奈が安定するか分からないが、いずれ彼女が日本に落ち着く事があるのなら、引き取る親戚も彼女がどのように過ごしたかを知ったほうがいいと思ったのだ。

 


「結奈、今夜は特別だ」

 

 都心にあるホテルで、要は慎重に結奈の体に縄を掛けてゆく。

 

「ん……、あぁ……」

 

 椅子の上に片足を載せた結奈は、両手を背中側で縛められ、体にも赤い縄を掛けられていた。

 

 胸が大きいからか、胸部を縛られると乳房が飛び出るように強調され、いっそう卑猥な見た目になる。

 

 結奈は洗面所まで連れて行かれ、自分の姿を目にし赤面した。

 

「やぁ……っ、こんな……」

 

 真っ白な肌に赤い縄を食い込ませ、顔を上気させた自分が映っている。

 

 両親の四十九日の法要があった日に、自分はなんて姿に――。

 

 あまりに不埒な姿を目にして、結奈はポロポロと涙を零し鏡の中の自分に謝っていた。

 

「ごめんなさい……。こんな私でごめんなさい……っ」

 

 いや、鏡の中の自分を通して、自分を生み育ててくれた両親に謝罪していた。

 

「いやらしいな? 結奈」

 

 鏡越しに要が結奈を見つめ、両手でねっとりと乳房を揉んでゆく。

 

「やぁあ……」

 

 弱々しい嬌声を漏らし、結奈は要の指が乳首を探る感覚に身悶える。

 

 どれぐらい、と尋ねられて答えられないほど長い時間、結奈は鏡の前に立たされ、ひたすら胸への愛撫を受けていた。

 

 要は背後から結奈の乳房を揉み、指で先端に繊細な刺激を与えてくる。感じ切った乳嘴が敏感になると、いきなりギュウッと乳首を引っ張り結奈をビクビクと震えさせた。

 

 首筋やうなじもしつこいぐらいに舐められ、キスをされ、耳元で責めの言葉を吐かれてはグチュリと耳孔に舌をねじこまれる。

「あぁ……っあ、も……やだぁ……っ」

 

 大事な部分――下肢にはまったく触れられていないのに、結奈はそこからたっぷりと蜜を溢れさせ太腿を濡らしていた。

 

 股をくぐる縄は蜜口の栓の意味も失い、柔らかめの綿ロープは結奈の蜜でふやけてすらいる。

「結奈。君は淫らな女だよ」

 

「うぅーっ……」

 

「こんな淫らな姿を見せていいのは、俺の前でだけだ。俺だけが結奈のすべてを受け入れられる。……いいな?」

 

 耳朶に囁き込まれた声に、真っ赤になった結奈はコクンと頷いた。

 

 

 


「あうぅ……っ、うっ、ぁ、あぁああっ……!」

 

 腕を拘束していた縄を解かれ、だが体を戒める飾り縄はそのままに、結奈はベッドの上に四つ這いになって喘いでいた。

 

 蜜壷にはヴィィィ……と振動するバイブが入り込み、グチュグチュと抜き差しされている。

 

 今までそんな物を使った事のない結奈は、当たり前に乱れた。

 

 要の男根とはまた違うソレは、恥骨の内側から結奈を揺さぶり、肉芽に強すぎる刺激を与えてくる。

 

 あっという間に絶頂を迎えた結奈は、ベッドに突っ伏してビクビクと体を震わせた。

 

「っあぁああ――――…………ぁ、あぁ……」

 

 脱力した結奈の秘部から、膣圧でにゅぽんとバイブが飛び出る。

 

 白い愛蜜にまみれたピンクの玩具を、要は熱っぽい目で見ていた。

「……我慢できない」

 

 そのまま結奈の尻たぶを掴んだかと思うと、要はこれ以上なく漲った自身をねじ込んだ。

 

「あぐ……っ、ぅ、……うー……。ま、……待って……」

 

 何度も淫具で絶頂させられた後だというのに、体力のある要の相手をするのは拷問に等しい。

 

 結奈は涙を流し懇願するが、要はすぐにガツガツと腰を叩きつけ彼女を攻め立てていった。

「っあぅ、あ、あっ、あ、あゃっ、あ、んぅーっ」

 シーツに頭をつけた結奈は、縛られた乳房を前後させ、揺さぶられて悶え抜く。

 

 頭上からは要の獣めいた呼吸音が聞こえ、それがいっそう官能を刺激する。

 

「結奈、緊縛されて犯されるのどうだ?」

 

 要の嗜虐的な声がし、結奈は切れ切れの声で返事をした。

 

「んーっ、あ、ァ、あ……っ、い……いぃっ」

 

「そうか、いいか。……俺も、――だ」

 それから要はぷっくりと膨らんだ結奈の肉芽に指を伸ばし、蜜をまぶした手でヌルヌルとしごき、虐め抜いた。

 

「ああぁあんっ、んあ、あぁあ、あぁーっ!」

 

 結奈は両手でシーツに縋り、ただ涙を流すしかできない。

 

 気が付けば四つ這いになった姿勢で一度達し、それから正常位、座位と交わりの体位を変えた。要も何度も避妊具を取り替えて結奈を貫き、初めての緊縛での興奮を発散させてゆく。

 

「ごめんなさいっ!」と何度も泣き叫ぶ結奈は、異常なまでに昂ぶっていた。

 

 赤い縄に戒められ、その上で貫かれ尻たぶを叩かれる。

 

 これ以上ないほど攻め抜かれ結奈は頭を飽和状態にさせ、何度も気絶した。

 窓の外が白み始めるまで交わった二人は、緩慢に動きつつもまだ貪欲に快楽を得ようとする。

 

「あぁ……」

 

 タン、タンと結奈に腰を打ち付け、要は可哀想なほど熟れた肉芽をツルツルと撫でる。

 

「ひぅ……っ、う、――あ、ァ」

 

 綺麗な顔を涙と涎でグシャグシャにした結奈は、脱力しつつも本能で要を締め付けた。

 

「――――ン、……ん、ぅ……っ」

 

 汗だくになった要は結奈に覆い被さり、ブルッと震えて避妊具の中に吐精した。

 

 それが、最後の避妊具だった。

「っあぁ……、あ……、…………はぁ、――は」

 

 要はドサッと結奈の横に寝転び、一晩中動き続けて疲弊した体で荒々しく呼吸をする。結奈は息も絶え絶えという様子で、目蓋に力を入れて目を開く事すらできなかった。

 

 四十九日の法要に起こすだろう発作を考え、要は先手を打った。

 

 疲れ切った結奈は、暴れる余力もなくそれから三日ほどぐったりと寝たままになる。

 

 要は結奈が自分を責めて暴れ、自傷しかねない危機を回避できるなら、どんな手だって使うつもりだった。

 

 毎日のように避妊具を消費する行為だろうが、最愛の人を傷付け失う恐ろしさに比べればどうって事はない。

 喪ったのは、結奈の両親だけで十分だ。

 幼い頃から要に優しくしてくれた彼らの笑顔を、今でも鮮明に思い出せる。

 

「要くんは結奈に本当に良くしてくれているわね」と茜に言われ、面映ゆい気持ちになる。

 

 茜に初めて「結奈と結婚したいと思っています」と相談した時も、「要くんほど結奈を想ってくれている人はいないから、おばさん応援するわ」と言ってくれた。

 

 柔らかな笑顔が印象的な邦茂も、あまり口数が多いほうではないが、要と結奈を見守ってくれていた。

 それを――、失った。

 第二の親のようにも思い、大事な結奈を育ててくれた恩人とも思っている。

 

 彼らには、もう会えない。

 

 自分と結奈の結婚式を、見てもらう事ができない。

 

 祝福してもらえない。

 

 彼らを「お義父さん、お義母さん」と呼ぶ機会も永遠に失ってしまった。

 

「……はぁ……」

 

 緩慢な動作で起き上がった要は、水を求めて裸のままミニバーへ向かう。

 

 結奈は寝息をたてて深く眠っており、ピクリとも動く気配はない。

 

 彼女を縛めていた縄はもうすでに切れており、結奈の体には赤くなった縄目の痕がある。

 

 ゴクッゴクッとペットボトルの水を飲み、要はベッドで眠っている結奈を見下ろし、悲しげに瞬きをした。

 

「……すみません。邦茂さん、茜さん。俺は……こんな事でしか結奈を癒やせない」

 

 探せばもっといい方法があるかもしれない。

 

 だが要は結奈を手放すという選択肢を絶対に認めない。

 

 世界一の名医がいる、護衛つきの個室がある病院だとしても、要は首を縦に振らない。

 

 自分が日本を離れていたあいだ、邦茂と茜を喪い、その車に結奈が同乗していたという話を聞いただけで、叫び出したいほどの恐怖を味わった。

 

 あれをもう一度味わうなど、あってはいけない。

 

「だから、俺は……」

 

 朝を迎えようとする外の光を浴び、結奈の裸身は女神のように淡く光っている。

 

 安らかに眠っている彼女の顔は、すべての苦痛から解き放たれたかのように見えた。

 

「…………許して、くれ」

 喘ぐように呟いた要の目から、ポツッと涙が一粒滴った。

**

 病んだ結奈は抗鬱薬や睡眠薬を飲んで過ごし、要の愛情を一身に受け、ゆっくりと回復していった。

 薬を飲むほどの鬱になり、短期間で回復するというのは難しい。

 

 だがたっぷり二年ほど要と世界を転々とし、たまにロンドンや東京に戻り、毎日包まれるような愛情を受けてその凍った心も雪解けをみせたようだ。

 一時はまったく眠れず食べられなかった時もあった。

 

 だが要と何気ない会話を交わし、時に毛糸一本でできるあやとりをし、スマホなどから離れて穏やかで緩やかな生活を続けた。

 知るのは要の体温のみ。

 

 彼の声と手と、指と舌。

 

 常に側に漂うベルガモットの香りは、いつしか結奈を安心させるためのお守りになっていた。

 

 結奈が纏うジョン・アルクールの桃の香りも、洋梨と重ねて甘くみずみずしい気持ちを味わい、彼女を癒やしてくれる。

 

 結奈が二十二才になった冬は二人でロンドンの邸宅でお祝いをし、要の両親も招いて心温まる時間を過ごした。

 

「私、春になったら日本に戻るね」

 

 あと二日でクリスマスイブを迎える日に、結奈は要の腕の中で決意を口にする。

 

「大丈夫なのか?」

 

「うん。薬も少なくなったし、最近は弱めの薬でも眠れるようになったし。要が側にいないのは寂しいけど、これ以上負担をかけてもいけないと思ったの」

 

「……俺は負担になど思っていない。いずれ結婚したら、同じようにずっと側にいるんだし」

 ベッドの中で普通のセックスをした二人は何も纏っていない。

 

 要は長い指で結奈の髪を梳き、二年前より長くなった黒髪を愛しげに撫でる。

「でも今は、頑張らないといけない時期なんでしょう? 私を気にしていたら、夜に会食とかして相手のお偉いさんと仲良くなったりするのも……できないでしょう?」

 

 それは事実だったのか、要は何も言わない。

 

「きっと社長令嬢とか、綺麗な女の人もいるんだろうけど」

 少し意地悪な言い方をすると、要が問答無用でキスをしてきた。

「……俺は結奈以外特別視しない。信じてくれるな?」

 

「ん……、ふふ。分かってる。ちょっと意地悪してみたかっただけ」

 

 結奈は目を閉じて要にキスをねだり、彼の体の重みを愛しく感じる。

 

「三年後の約束の二十五歳の年には、私も完璧に良くなっていて、二人で幸せな結婚ができるって信じているから」

 

「ああ、必ず迎えに行く。用事を作って日本にも行くから、その時はデートしてくれ」

 また二人の間に、会えない日々が訪れようとしている。

 それでも要の父親が彼に課した、三十歳になるまで当主に相応しい人脈を作り、会社でも実績を出す事、という課題は絶対にクリアしなければいけない。

 

 要の両親はもうすでに結奈を受け入れているとはいえ、他の親族たちを黙らせるための確実な手段が必要だ。

 

 結婚してシャーウッド家に結奈を迎え入れ、彼女が困るような事があっては困る。だから要は現在必死になって努力していた。

 

 三日後のクリスマス、結奈は要と一緒にクリスマスツリーの下にあったプレゼントを開けた。

 

 その夜はイギリス伝統のクリスマス用の、悪く言えばダサいセーターを全員で着て、要と結奈はヤドリギの下でキスをした。

 

 女王のロイヤルクリスマスメッセージを聞き、クラッカーを鳴らしてディナーを開始する。日本のクラッカーとは違い、キャンディのような形をしたその中には、紙でできた王冠が入っている。

 

 それを被り、伝統料理の七面鳥のローストは要の父が切り分けた。

 

 クリスマスプディングのコインは結奈に当たり、口の中でガチッとした感触に結奈は「やったぁ!」と笑顔になる。

 

 すっかり状態が良くなった結奈の笑顔に、要も彼の両親も明るい気持ちになるのだった。

**

 春になり、結奈の行き先は東京の叔父夫婦の家と決まっていた。

『浅葱茶屋』という本格的な和風喫茶を叔父夫婦は経営しており、結奈もそこで働かせてもらう事にした。

 

 二十歳の時に事故があり、それから二年間大学を休学している。

 

 結奈が休養しているあいだ、結奈に関わる諸々の支払い元は、すべて要へと変わっていた。

 

 要が直接どうこうするのではなく、どうやら国内に叔父夫婦に接触する仲介人がおり、あれこれ手続きをしてくれたそうだ。

 すべて要の日本にある口座から引かれるようになっている事を――、結奈は知らない。

 結奈は大学に復学し、三年生からやり直す。

 

 卒業した後の進路は、要の妻となる事が決まっているので、特に就職は望まなかった。

 

 先に大学を卒業した友人からは「いいな」と言われているが、彼女たちも結奈が平坦な道を歩いている訳ではないのを分かっている。

 

 結奈が結婚するのは一筋縄でいかない人物だと知っているからこそ、表面上はからかいつつも応援してくれていた。

 

 結奈が東京で過ごし始めてすぐ、『浅葱茶屋』に滝ノ瀬郁也という人物が勤めだした。

 人当たりが良く爽やかな好青年だが、どこか結奈に向けられる視線に粘着質なものを感じる。

 

 デートに誘われる事もあったが、要がいるので丁重にお断りしておいた。

 

 それでも郁也は結奈を諦めず、表向き〝茶屋の同僚〟という立ち位置を崩さず、距離を縮めるのをやめない。

 

 彼の距離感は、いわゆる壁ドンというものをされて、体には指一本触れられていないのに、異様な密着感を覚える――そんな感覚だった。

 

 茶屋の仕事をしつつ、結奈は大学に通い二つ年下の友人を作って幸せに過ごしていた。

 

 要とも毎日のように連絡を取り、二十五歳の結婚式を楽しみにしている。

 

 たまにネットニュースや海外のニュースサイトで、『イングランドの若き貴族実業家、ハリウッド女優と白昼デート』などいうタイトルを見かけると、ドキッとする。

 

 写真にはサングラスを掛けた要と女優が、カフェかどこかで親密そうに会話をしている姿がある。

 

 それも一度だけでなく、何度か似たような事があった。

 

 最初こそ結奈は要を信じて「こんなのデマ」だと思っていたが、不安になり要に電話をかけた。

『どうした? 日本はもう夜中だろう』

 

 スマホのスピーカーの向こうから、愛しい人の声が聞こえる。

 

 前回会ったのは数か月前で、以前より確実に要は忙しくなり、結奈と会う機会も減っている。

 

 恋人たちのイベントである七夕やクリスマス、バレンタインや二人の誕生日には、必ず駆けつけてくれる。それでも結奈は要が足りない、と思っていた。

 

「……また、女優さんと噂になったの?」

 

 結奈の沈んだ声で、要はすべてを察したようだ。

 

『すまない。本当に彼女はただの友人だ。他に恋人がいて、買い物に付き合ったり、仕事の悩みを聞いたりなど友人の範囲でしか付き合っていない。パパラッチは、俺が誰か若くて綺麗な女性といるだけで、デートをしていると見えるんだろう』

 

「本当に、何もない?」

 

『誓って何もない。結奈と離れている間は、とても禁欲的な生活を送っている。何なら、テレビ電話でセックスしようか?』

 

「もぉ、やめてよ」

 

 冗談とも本気ともつかない事を言われ、とうとう結奈は笑い出した。

 

 要も安心したような雰囲気になり、その声が和らぐ。

 

『今はちょっと忙しくなっている。次に会えるのは結奈の誕生日からクリスマス、年末にかけてだと思うが、その時はちゃんと休みを取れるようにするから』

 

「うん……」

 

 穏やかな彼の声を聞いているだけで、大きな手でポンポンと頭を撫でられている気がする。

 

『結奈、ちゃんと眠れているか?』

 

「うん、ときどき要の夢をみるよ」

 

『ときどきか。もっと見てくれ。食事は? できているか?』

 

「ふふ。……うん、和食中心にきちんと三食とってるよ」

 

『また店に遊びに行って、結奈の着物姿見られるの楽しみにしているから。結奈は日本的な美人だから、本当に和装が似合う』

 

「ありがとう。楽しみにしてる」

 

 耳元で要がチュッとキスをしてくれたのが聞こえ、いつのまに結奈の心はホワホワとした温かなものに包まれていた。

 

「ねぇ、要。電話終わったら、スマホで自撮りしてアプリで画像送って?」

 

『いいけど……。じゃあ、結奈も写真くれ』

 

「すっぴんの浴衣姿だよ?」

 

『結奈の何もかもを知ってるんだから、すっぴんだろうが寝間着姿だろうが構わない』

 

「……ん」

 

『もう眠れるか? あまり夜更かしするのは良くない』

 

「……うん。急に電話してごめんね。安心した」

 

『またいつでも掛けていいから。じゃあな、愛してる』

 

「ん、私も愛してる」

 余韻を味わいつつ静かに電話を切ると、それから数秒もせず要からメッセージアプリの通知があった。

 

 要はいまニューヨークにいるはずなので、向こうでは朝の六時から七時ほどだ。

 

 結奈は一生懸命起きて午前零時を迎えようとし、欠伸を噛み殺しつつ要の写真を開く。

 

「……格好いい、なぁ」

 

 もうシャツにベスト姿の要は、髪もセットしてテーブルについている。

 

 背後に写り込むのはどうやらホテルのスイートルームのようで、部屋で朝食をとって新聞でも読んでいたのだろうか。

 

 現在要は二十六歳で、以前よりも大人っぽくなり色気も増している。

 

「金髪碧眼の美女が夢中になっても……、仕方ないなぁ……」

 

 トン、と指先でスマホの角を叩き、結奈は一人笑う。

 

 すると要から『写真は?』と催促するメッセージがあり、結奈は「おっと」と慌ててカメラアプリを開く。

「やだな、要の写真ならいつまでも見られるのに、自分の写真だと恥ずかしくて堪らない」

 

 そんな事を言いつつ、一生懸命うろ覚えの自撮りテクを思い出し、上から見下ろすような角度で一枚撮った。

 

〝盛る〟という事はしないが、夜で部屋の照明の関係もあるので、ちょいちょいと色味や明るさなどを調節する。

「送信……と」

 

 すぐに既読がつき、少し経ってから『めちゃくちゃ可愛い。元気出た』と返事があった。

 

「んふふ……っ、もぉ、上手なんだから」

 思わず笑み崩れ、結奈は幸せな気持ちになって布団に潜り込んだ。

**

 要は何とも言えない気持ちで、スマホから日本円にして三千万ほどを送金した。

 

「……バカか」

 

 事の経緯を聞き、要は滝ノ瀬郁也という顔だけ知っている青年に悪態をつく。

 

「素人が大金をかけた株をやって、一儲けできるとでも思ったのか。世界中の投資家が相手になる銘柄だってあるっていうのに、そんな事も分からず一般家庭から三千万を……。クソッ、本当にバカか」

 

『浅葱茶屋』を畳むという話を聞いたのは、いつものように叔父夫婦から結奈の話を聞こうとした時だった。

 

 元気のない調子だったのでしつこく理由を聞けば、「情けない話なんだけど……」と慎子がすべてを打ち明けた。

 

 夫婦が商売でコツコツと貯めて老後の資金としようとしていた財産を、チラッと株のノウハウを聞きかじった程度の人間が溶かしてしまったのだ。

 

 要だって結奈と出会った六歳には株を始めていたが、そう簡単なものではないと理解している。

 

 父に教わって何度もシミュレーションし、株だけで生活をするデイトレーダーにも匹敵するようになるまで、ある程度の年数はかかった。

 

 理解した後の順応は高かったが、要ほどの才を持つ者でなければ、大口の株を操るのは至難の業だ。

 

 慎子に聞けば、その滝ノ瀬という青年は以前から株をやっていた訳でもなく、「今後の茶屋のために少し稼いでおきましょう」というノリだったそうだ。

 

 邦宏も慎子も大事な資産を無駄にするつもりはなかったが、茶屋に対する熱意を論ずる郁也を前に折れてしまったそうだ。

 

「明るく誠実でまじめな人柄で……」と言う慎子に、要は「そういう奴が一番人生に躓きやすい」と突っ込みたくなった。

 

 気が付けば最初は少額だった金も、失敗を取り戻すように徐々に高額を投じるようになり、あっという間に数百万、数千万……と溶けていったそうだ。

 気落ちした三輪山夫婦は、郁也を店から叩き出す気力すら削がれ、破産申請のやり方などを調べる日々となった。

 

 いつ閉店の紙を店に貼ろうかと思っていた時、要から電話が入ったのだ。

「どれだけ必要なんですか」と尋ねて答えられた金額は、要にとって大した数字ではない。

 

 シャーウッド家ではなく要個人の資産の中でも、微々たる額だ。

 

 本来ならそこまで三輪山夫婦に肩入れする義理もないが、『浅葱茶屋』は結奈が生活し身を寄せている場所だ。結奈だって『浅葱茶屋』で働く毎日を「楽しい」と言っていて、要も彼女の生き生きとした働き姿を見て嬉しく思っていた。

 

 いずれ自分と結婚する結奈はそう長く茶屋にいないだろうが、彼女が働く限り要だって茶屋を守りたいと思う。

 

 その結果、要は三輪山家の口座に送金し、彼らに念を押した。

 

「いいですか。その滝ノ瀬さんという人には気を付けたほうがいい。気やすく人の懐に入り、家庭や職場を壊していくクラッシャーというのは、どこの世界にもいるんです」

 

 要の忠告に三輪山夫婦は「気を付けます」と悄然としていたが、その後彼らが郁也を解雇したという話は聞かなかった。

 

 後になって思えば、その時要が郁也の解雇をゴリ押ししていれば、悲惨な運命を避けられたかもしれない。

 

 

 

**

 結奈が待ち侘びていた要との再会は、ある意味で果たされなかった。

 

 要が知らない初夏のある日。

 

『浅葱茶屋』が火災を起こし、結奈はその炎の中に思い出してはならない恐怖を蘇らせた。

(要!! 助けて!! 要……っ!!)

 

 燃え上がる火柱を見て、結奈は固まったまま一言も声を発せず、心の中で絶叫していた。

 

 脳裏に車がぶつかるガシャンッという凄まじい衝撃が蘇る。

 

 両親の叫び声、父が「危ないっ!」と大きな声を上げ、母も「結奈!」と最期に自分の名前を呼んだ。

 

 ガツンと痛みを感じてから意識が暗転し――、気が付けば結奈は道路の上に座っていた。

 

 目の前には燃え上がる車両。

 

 現場検証をした警察の話だと、衝突した際の火花がガソリンに引火したそうだ。

 

 助けてくれた男性は、結奈一人を助けるのが精一杯だと言っていた。

 

 ――あの中にお父さんとお母さんがいる。

 

 それを理解した時の絶望は、今でも忘れられるものではない。

 

 だが結奈は、二年間要と行動を共にし、その恐怖を克服したはずだった。

 

 彼がいてくれるから、結奈は乗り越えられた。

 

 だから今も、懸命に要に呼びかけていた。

 

(要!! ねぇ、お願い、側にいて! 『大丈夫だ』って言って! 抱き締めて!)

 心の中で結奈は要を求め――叶わない現実を知る。

 

 皮肉な事に、ある程度落ち着いた結奈には「ここで取り乱してはいけない」と思える理性が宿っていた。

 

 四年前の事故直後なら、混乱のまま泣き叫び暴れていただろう。

 

 だが今は、要が時間と金をかけ、側にいてくれて〝今の自分がある〟と理解している。

 

 ここで結奈がまた壊れては、要の努力がすべて水泡に帰すのだ。

 

(――駄目……)

 

 ギリギリと結奈の心の中で、理性と衝動が摩擦し合い、火花を散らして戦っている。

 

 傍から見れば、結奈はただ調理場の床にへたり込み、呆けているだけに見えただろう。

 

 それでもその心では常人が想像もつかない葛藤が生まれ――、理性が勝ってしまった。

 

 ――この場で取り乱してはいけない。

 

 結奈は強く強く、「自分は要がいなくても大丈夫」と言い聞かせてしまった。

 

 彼と過ごした甘い思い出も、「要がいるから全部大丈夫」と思う甘ったれた気持ちも、すべて封じ、殺した。

 心の力を使い切った結奈は少しのあいだ寝込み――、目を覚ました時には要を忘れてしまっていた。

 

 それを郁也に利用され、彼の欲望のまま導かれたと知らず、結奈は自分一人の力でまた日常に戻ったのだった。

 しかし、要という大事な人を完全に忘れるはずもない。

 

 店じまいを終えた結奈は、郁也と一緒に喫茶店に行き、おしゃべりを終えたあと帰ろうとしていた。

 

 疲労にも似た思考のモヤやハッキリとしない気だるさと戦う結奈は、何度となく味わうこの感覚にゆるりと首を振る。

 

 季節はまだ残暑を感じさせるじっとりとした夜だ。

 

「結奈ちゃん、どうしたの?」

 

 道ばたにぼんやり突っ立っている結奈に、郁也が声を掛ける。

 

「……んーん……。ちょっと……、頭が……」

 

 青白い顔で微笑む結奈の脳裏に、チラチラと一人の男性が浮かび上がろうとしていた。

 

 背が高くてガッシリとしていて、美形……だろうに、その顔が分からない。

 

 優しくされた温かな気持ちもあるのに、なぜかその人が思い出せない。

「……あの人は……」

 頭の中に一面の霧があり、結奈は意識の扇風機をフル稼働させて霧を晴らそうとしていた。

 

 ――その時キンッと音がし、結奈の前にオイルライターの火が現れた。

 

「――ぁ……っ」

 

 ゆら、ゆら、と目の前でライターの火が左右に揺れ、カキンとオイルライターの蓋が閉まっては、またジッと火がつく。

 

「……っあぐ……っ」

 

 ズキンッと激しい頭痛が起こり、結奈は顔を歪めてしゃがみ込んだ。

 

「結奈ちゃん」

 

 それを支え、郁也は執拗に火を見せつける。

 

「駄目だよ? 結奈ちゃん。思い出したらまた辛くなるだろう? 忘れているほうがラクなんだから。思い出したらまた怖い思いをするよ? こわぁい事故があったんだろう?」

 

「……あ……やぁ……、ぁ……いや……。思い出したくない……。やだ……、あう……ぅ、やだぁ……。たす、……助け、て……」

 

 結奈の脳裏で、ゴウゴウと火が燃える。

 

 その火の向こうにあるモノを、結奈は決して思い出してはならなかった。

 

 自分が覚えていていいのは、〝事故があった〟という事実のみ。

 

 事故があった当時、どんな事を考え、心が引き裂かれそうな何を感じたか、決して思い出してはならない。

 

 地獄を見てしまえば、あとはただ堕ちるだけだ。

 

 知らないはずの地獄の味を知っている結奈は、もう一度そこに堕ちるのを一番恐れていた。

 

「あ……ぐ、ぁ……っ、やっ……だ、や、だ……ぁっ」

 

 眉間にしわを寄せ苦悶の表情を浮かべる結奈を、郁也はうっとりと微笑んで見守っている。

 

 ――いや、彼女が苦しんでいるのを分かっていて、さらに目の前で火を揺らめかせた。

 

「忘れていいんだよ。何も思い出さなくていい。結奈ちゃんは俺の婚約者で、来年幸せな結婚をするんだ。何も、思い出さなくていい」

 

「ん……っ、ん、ぅ……っ、うぅ……っ、――――ぁ、…………あ……」

 ふぅっと結奈の目から生気が消え、ガクンッと体の力が抜けると同時に彼女は気絶した。

 外気の蒸し暑さだけでなく、その顔や体にはびっしょりと汗が浮かんでいた。

 

「あーあ、気ぃ失ったか。まぁいっか。背中に結奈ちゃんのおっぱい感じられるし」

 

 雑な上、気持ち悪い発言をし、郁也はライターをポケットにしまうと結奈をおぶる。

 

「たーんたーんたたーん、たーんたーんたたーん」

 

『結婚行進曲』を口ずさみ、郁也は楽しげに夜道を歩き、結奈を『浅葱茶屋』まで送っていくのだった。

**


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